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リンケージ藤波

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足立優歯科診療所
院長
足立 優

昭和35年 大阪市に生まれる
   60年 大阪歯科大学 卒業  大阪岩狭歯科診療所勤務
   63年 米国留学
平成 1年 神戸市東灘区に 足立優歯科診療所 開設
   7年 デンタルハイジニストアカデミー 開校
   9年 兵庫県新産業創造プログラムに「予防歯科センター設立計画」が認定される
  13年 予防歯科普及のための「サニア株式会社」設立
  16年 NPO法人「明日の歯科医療を創る会POS」設立、同理事長  
  18年 第5回日本国際歯科大会 講演  
20年 自由診療支援コンピューターシステム開発
                       現在に至る

<現 在>
・大阪デンタルリサーチグループ会員、平成6年、14年、19年度代表
・神戸臨床歯科研究会 主宰
・日本母乳の会 会員
・歯科健康管理クラブ「ZERO CLUB」代表
・NPO法人「明日の歯科医療を創る会POS」 理事長
・NPO法人「患者の権利オンブズマン」オンブズマン会議メンバー

<活 動>
患者中心の医療に基づく予防型総合歯科医療を展開、社会に対しての啓蒙活動と歯科医療界に対しての教育活動を行っている。

<著 書> 
成功する歯科医院のビジネスモデル ―クインテッセンス出版―(共著)
歯科衛生士のためのヘルスカウンセリング ―クインテッセンス出版―(共著)
ヘルスカウンセリング事典  ―日総研―(共著)
母乳と虫歯を考える ―日本母乳の会―(共著)
母乳育児のコンセプト ―日本小児保健協会―(共著)
母乳育児と歯科保健  ―保健同人社―       その他




自由診療を目指しましょう

As a man thinketh in his heart, so is he.

これは聖書の中の一節です。

聖書の中では、「人は欲望のままに行動する生き物である」といった人間のネガティブな面を強調する意味でこの表現を用いていますが、この一節を肯定的に解釈したイギリスの作家ジェームスアレンは、この一節を「人は心に思っているようなそんな人になるのだ」と解釈し、正しい思考がより幸せな人生をもたらすものであると説いています。

さて、私たち歯科医療者がこの業界で経済活動・社会的活動を行う時、社会の評価や政治・経済動向によりうまくいかない状況を受けて、その責任を行政や社会あるいは患者の責任に押し付けてはいないでしょうか?

私たちは、よりよい医療を提供し、そのことにより様々な点において満たされた、社会的存在価値を得たいと願っています。
しかし、本当にそれを望むのであれば、うまくいかないことも自らの努力と力によって変えていかなければならないのではないはずです。

その為には、保険診療=歯科医療という呪縛にとらわれた歯科医療者であってはいけないのです。
歯科医療を展開する一つの手法として保険診療があるわけであり、保険制度にとらわれない自由診療による医療展開も医療の手法としては問題がないことを理解すべきです。
そしてそれを実践することが必要です。

多くの歯科医療者は、やりたいことでありながらもできない現実を前に,自らを否定的にとらえているのではないかと思います。

私が座右の銘としている「As a man thinketh in his heart, so is he.」
この一節は、ジェームスアレンの解釈を借りるとするならば、
「何も恐れることはない、心に強く思いを抱き、正しい思考に基づき行動すれば、必ずや思いは実現する」
という励ましの言葉となります。

医療者としての使命感を持ち、よりよい歯科医療に専心しようとお考えの歯科医療者の方々には、是非とも勇気をもって業界の変革と社会への貢献に向けて尽力いただきたいと願う限りです。

その成功の姿は、自由診療による歯科医療展開だといえるでしょう。


ある患者の残したメッセージ

私が勤務医時代の患者さんNさんです。
現在の私の歯科医療への取り組みにおいて、
なすべきことのすべてを教えていただけた方とのエピソードです。

勤務医当時、診療時間は17:30まででした。
私にメッセージを託されたこの患者さんNさんは、診療終了時間直前にお越しになったのでした。

「歯が痛むので見ていただきたいのですが・・・」
不安げな患者さんを気遣って、スタッフが当時のオフィスで最年少であった私に、少し遠慮がちに「お困りなようですが、診ていただけますか」と尋ねてきました。
残業になるのが気がかりだったのかもしれません。
「いいですよ」と快諾した私の答えを患者さんに告げ、患者さんは診察室に案内されました。

お年のころは60歳前後の女性でした。
お口の中を拝見すると、歯周病が進行し誰がどう診ても助からないであろうぐらぐらとした歯がありました。
新米の歯医者でも鎮痛のためにはすぐに抜歯とわかる歯でしたが、まずはレントゲン写真撮影の承諾をいただき、写真を撮りました。
案の定歯を支える骨は失われ、診断は抜歯です。
そこでこの写真をシャーカステンに装着し、Nさんに対して説明をしました。
「これが歯です。そしてこれが歯を支える骨です。
本来はこの歯の根の部分がこの骨に埋まっていなくてはならないのですが、すでに骨はありません。
歯周病という病気により、骨が壊れてしまい、根の先端から黴菌が歯の中に入り込んだので痛みが出ています。
残念ですがこの歯は抜歯させていただくのが最善の処置かと・・・・。」
このようにお伝えしたところ、患者さんは「予想はしてました。それではよろしくお願いします」と寂しげにおっしゃいました。
通法通りの処置が完了したのは、18:00を過ぎた頃でした。

口腔内には、他にも同様な歯があり、また欠損も放置されていましたので、お帰りのときには、
「他の歯もこのように痛む前に対処をした方がよいと思います。よろしければ一度しっかりと診させていただきますが。」とお声掛けをしたところ、ではお願いしますと次ぎの予約を取ってお帰りになられたのでした。

次回来院時には、お口全体の検査の必要性をお話しし、ご理解のもと検査をさせてもらいました。
日を改めて検査結果を報告し、Nさんといろいろなお話をしました。

1年ほど前に歯科医院に通っていたこと、
悪いところを治しましょうと先生からいわれて治療を承諾し、通ったところ毎回歯を抜かれたとのこと。
そのことで、一体どうなるのだろうと不安になり、通院を止めてしまったこと。
今回の処置で、予想どおり痛かった歯は抜歯になったこと。
今はビルの清掃員の仕事をしているが、1月後には退職し、老後を田舎に帰って過ごすつもりであること。
ただ、これからの人生は歯がなくて過ごすのかと思うと不安で、でもあきらめているということ。
などなどでした。

確かに多くの歯が使えず抜歯が必要で、上顎で4本、下顎で6本程度の歯しか残せない状態だったことを覚えています。
でもまだこれらの歯はきちんとすれば使えますからと、次回までに治療計画を立ててお話しする約束でお帰りいただきました。

治療計画は、当時最先端だったコーヌスのデンチャー、治療期間は歯周外科処置なども含め約9カ月、そして治療費は当時のお金で200万円ぐらいだったと思います。
お仕事の様子や、老後のため田舎に帰るという生活設計などから考え、成り行き上治療の話はするものの、実際の治療はお受けにならないと考えていました。
結果は、予想に反し治療を受けることを決意され、退職予定であったビルの清掃のお仕事を1年延長され、退職時期も延ばされたのでした。
1年ほどが過ぎ、治療完了後は、田舎に帰られましたが、その後私が開業した後も現在の診療所へメンテナンスに通院いただけたのでした。


数年後定期健診のときにお話しされたことがありました。
「私と出会う前の歯医者では、私の思いをしっかりと聞いてくれることがありませんでした。
さらに治療の方針やその内容手順についても説明を受けませんでした。
このことが私の不安となり、このまま歯を抜き続けてどうなるのかと思った時、続けて通院することができなくなったのでした。」と、
さらに、続けられました。
「治療が終わり、歯を入れて帰り、その日の夕食にきゅうりをいただいた時、パリっと音がしたんです。忘れていたきゅうりの感触でした。そのあとは涙が出て食事ができなかったんです」と、
「本当に大切なものを取り戻しました。お金と時間は取り戻した価値と比べると安いものです」
ともおっしゃられました。

私はこの患者さんから次のようなことを学びました。
歯科医療者として、
①目の前の患者さんの訴えをしっかり受け止めるように聞きとること、
②状況を正しく、わかりやすく、伝えること、
③出来うる最善の力を使いきること、
④長持ちするようにメンテナンスでしっかりとフォローすること、
このすべてのことが欠けてはならない大切なことであり、そのような対応を患者さんは望んでいるのだ、ということでした。
今も私の医療概念の根幹となる大切なことがらです。

現在は他界されましたが、私の歯科医療者としての生き方に大きなメッセージを残してくださった患者さんでした。

多くの歯科医療者が、原点に立ち返り、本当に考え直さなければならない課題がこの患者さんとのエピソードには含まれていると思います。



来月はタカラベルモント株式会社デンタル事業部
岡山営業所 所長 重見 多賀志様にリンケージします。





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