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医療法人スマイル会 よしだ歯科
理事長 院長
吉田 真一郎
1998年 岡山大学歯学部卒業
4年間大阪大学歯学部第一口腔外科、及び関連病院に勤務
2002年より、東大阪市ヨリタ歯科クリニックに勤務
2003年当時の人気番組「世界ウルルン滞在記」最初で最後の特別企画「泣いて笑って初体験、視聴者ウルルンスペシャル」出演!?
8013人の応募者の中から奇跡的にオーディションで選ばれ、ブラジルアマゾンの本物の裸族、ゾエ族の村を訪問!?
2005年ヨリタ歯科クリニックを卒業、大阪府箕面市によしだ歯科を開院
2009年より医療法人 スマイル会 よしだ歯科に名称変更し現在に至る
現在
・CHP研究会 大阪支部代表
・パナソニックレーザーセミナー講師
・行岡学園 歯科臨床概論講師
・ドイツ国際平和村支援NPO ペイフォワードクラブ 理事
人と人のつながり(リンケージ)と勇気が人生を前へ進める!!
前回の永井美也子先生とは岡山大学の同級生です。共によく「戦友」と関係を表現しています。私たちはテニス部で6年間、全国歯科医師テニス大会での勝利を合言葉に、一生懸命練習し、共に戦った親友です!辛いことも、楽しいこともいっぱい一緒に経験した強固な信頼関係で結ばれた仲間です。ちなみにそのテニス部の初代キャプテンは今日本一有名な歯科医師とも言われている寄田幸司先生です。
私たちが卒後3年経ったとき、永井先生に「どこかいい歯医者さんの就職先知らない?」と言われ、寄田先生に相談してみたら!と紹介したのが、私と永井先生、寄田先生の運命の出会いにつながりました!
そのころの私は阪大で将来が全く見えず、伸び悩んでいました。歯医者を辞めようかとも思っていました。永井先生が入職した翌年、私は勇気を出して、求人もしていなかったヨリタ歯科に、「どうしても寄田先生のようになりたいので雇ってください!」と頼み込んで、就職させてもらいました。当時のヨリタ歯科は今のような有名医院ではなく、「削って詰めたら、早く帰ってもらえ的な」スピード重視の普通の医院でした。(名誉のために寄田院長だけはスピード、精度、信頼度全てがカリスマ的でした)
しかしある日からヨリタ歯科は予防歯科に加速的に変化し、他の追随を許さない予防歯科に生まれ変わりました。当時を振り返ると、まず絶対的な信頼関係のあるメンバーが集まっていたことが、あの変化に耐え、進化した大きな要因だと思っています!
進化をし始めたとき、新たな出会いがありました。上間京子先生との出会いです。上間先生も今ほどの知名度は無かったころでしたが、初めてお会いしたときに、キラキラとしたその笑顔と柔らかな語り口、きれいな歯、そして何より衛生士の社会的地位向上に必死になられている姿を拝見し、一瞬でファンになってしまいました!きっと私のような感覚を多くの方が感じたから、そこからどんどん上間先生の人気は全国区になっていったのでしょう!
このように人と人とのつながり(リンケージ)と、少しの勇気で今の自分が形成されていると実感しています!
ウルルン滞在記で感じたカルチャーショックとその後のサプライズ!
私が世界ウルルン滞在記、オーディションを受けたのは、今から6年前の2003年7月、ヨリタ歯科が変化し始め、フェスタを開催し、子供たちの最高の笑顔に出会えるようになって来たころでした!モットーである「スマイルアンドコミュニケーション」と言い始めたころでもあります。
ヘルスプロモーション型の予防歯科として一歩を踏み出し、スタッフは一丸となり、仕事をし始めていました!とにかく医院内は夢を語り合える場でした!
ウルルンに出たい!そんな事を言い出したときも、スタッフは全面的にバックアップしてくれました!寄せ書き色紙や白衣を作ってくれ、医院を代表して、ひとつのチャレンジをしている感じでした。私はドイツ国際平和村へ行きたい、戦争で傷ついた子供たちに心優しい大人もいるということを伝えたい、平和の象徴である家族団欒、むし歯があってはその食事もままならない、だから虫歯にならない食生活を身につけてもらいたい!そんな思いをオーディションで伝えました!
一方の選ぶ側の番組司会者、徳光さんの質問は「吉田君、裸族とコミュニケーション取れる?」というもの、とっさに「もちろん!言葉で伝わるのはたったの7%、身振り手振りや、表情、声の質、大きさなど他の多くの要素で人は感情を伝えますから!」とメラビアンの法則を根拠に応えました!そこからは、場の空気を察し、小さいころから裸族の村に行きたかった、裸族に歯の大切さを教えに行きたいという熱血人情派歯科医師を演じきり、見事に選んでもらいました!
発表の瞬間、寄田院長以外、誰も知らされていなかったヨリタ歯科では、突然のテレビカメラのロケに大騒ぎになりました!
実際に行ったアマゾン、ゾエ族の村で、歯の大切さを教えようと思ったら、「知ってるよ!当たり前やん、歯が無くなったら、死んでしまうもの・・・おじいちゃんもおばあちゃんも歯が無くなってサルの肉が食べれなくなったから死んでしまったの、人も動物だから・・・」幼い子供が私に言いました。
カルチャーショックでした。文明人として、歯科医師として、彼らの村に行き、歯の大事さを伝えに行くつもりが、教えられました。相手の文化も知らずに、自分の価値観を教え込もうとしていた事に恥ずかしさも感じました。
この貴重な体験を活かし、日本に戻り、開業という、自分の夢実現に必死で打ち込みました!
そんなある日、東大阪のヨリタ歯科に車椅子の女性が診療に来られました。なんと、4時間半かけて、岡山県倉敷市から来てくれました。彼女の名前は新田直子さん、ウルルンを見て、この先生なら私の歯を治してくれるかもしれない!そう直感した新田さんは生まれて初めて、自分だけで倉敷から出たそうです。新田さんに、私自身が本当に勇気をもらい、彼女が安心して通えるバリアフリーの医院を作ろう!という気持ちが高まりました!
2005年、大阪府箕面市によしだ歯科を開業、その際にもお祝いに来てくれました!手作りのよしだ歯科「お日様スマイル」を持って!心から感動しました!
そして新田さんには本当に感謝しています!ありがとうございます!新田さんがよしだ歯科に来てくれると、よしだ歯科スタッフもさっと対応してくれます!馴れてます。そして愛があります!このスタッフの優しさにも感謝です。
2006年倉敷での開業セミナー講師をした際、新田さんを会場に招待しました。その際、快くバリアフリーの席を作ってくださったのが、主催者であるリンケージの藤波社長でした。この場をお借りして、心から感謝をお伝えしたいです。本当にありがとうございました。このご恩を歯科界にお返ししていきたいと思って、日々頑張っております。
今つくづく私は人に恵まれ、人に生かされていると心から思います。幸せものです!
ひとリンケージ、このような貴重な機会を作っていただき誠にありがとうございました。
来月は西尾歯科
下川床 里美様にリンケージします。
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